日光銘水そば かんまんの茶屋(憾満ガ淵歩いてすぐ) かんまんとそばの由来
日光銘水そば かんまんの茶屋(憾満ガ淵歩いてすぐ) 大正時代に田母沢御用邸に届けられた蕎麦
栃木県は全国的に有数なそばの生産県です。 大正天皇が日光御用邸においでになると、ご用命に応じて宮内省御用商人だった日光市本町、 高井家(現在は日本料理店)に決まって手打ちそばの注文がありました。
現在の早見食品工業代表を務める早見透の祖母(早見りん)は、高井家から注文を受けそば粉を納入させて頂きました。
そばの産地で名高い今市市長畑(現在:日光市長畑)、下板橋、日光市小来川などの農家から年間四百俵前後を買い入れ、これを水車を利用した大谷みかげの石ウスでひいて出荷していました。
そば粉をひく作業は大変で、三角のそばの実がふっくらと盛り上がったのを独特な方法で皮をうすく取り、青味がかったところを落とさないようにして、実を石ウスにかけて丹念に粉をひく作業をしていましたので、一昼夜がかりで一俵半ぐらいしかそば粉にできなかったそうです。
日光銘水そば かんまんの茶屋(憾満ガ淵歩いてすぐ) かんまんと投げ筆そばの由来
田母沢御用邸のすぐ近くを流れる大谷川対岸に、含満ケ淵と呼ばれる名勝があります。
世界の観光地として知られる日光で、近年、もう1つの日光として脚光を浴び始めました。
日光をこよなく愛された大正天皇は、避暑地としてお過ごしになられたようですが、この地に足を運ばれた折り、歌をお詠みになられたそうです。
その大正天皇の歌碑や、奇巌の間を縫って流れる渓流の美しさ、四季を通じて楽しめる草や樹々の彩りは、必ず皆様に深い感動をあたえることと思います。淵の岩盤に、昔、偉いお坊様が筆を投げて字を書いたと言う伝説があり、人々はこのことを「弘法の投げ筆」と言うようになりました。
この伝説にあやかりまして名付けられましたのが「投げ筆そば」です。
下野の国、栃木県は古来より玄そばの産地として名声を博しております。
この「投げ筆そば」は、栃木県の高原一帯に産する玄そばを集荷し、製粉し、つなぎ粉に県産小麦粉を用い、打ちたての生そばのおいしさを御賞味頂きたく創り上げました。
田舎そば特有の香りと、のどごしの良さをお楽しみください。
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